ご見学は随時可能ですが、事前にご予約いただけますとご案内・ご相談が可能です。

毎週土曜日は「游心庵」見学日としています(要予約)。

お知らせ

大澤山 常陽院 明圓寺(茨城県石岡市)
大澤山 常陽院 明圓寺(茨城県石岡市)2024/11/12 @ 12:29
「生かされて生きてきた
生かされて生きていこう
もったいない
ありがたい
南無阿弥陀と」

報恩講

私達は、「勿体無いことです」 「有り難いことです」と言いますが、「勿体無」とは、この肉体が無いことなかれという意味です。
すなわち、多くの死の縁有る中で、生きていることは不思議であって、ただ事ではないという意味であります。

「有難」も同じ様な意味で、礼賛文の「人身受け難し、今已に受く」の言葉の様に生きていることが有り難いという事で有ります。

今、生かされて親鸞聖人のみ教えに会わせていただきますことに知恩報徳、報恩感謝しますと言う集いが報恩講であると思われます。

報恩講の法会のあり方やよろこび方を、根底に、立ち帰り
お念仏に寄って生かされていることをよろこび合えればと思っております。

    合  掌
大澤山 常陽院 明圓寺(茨城県石岡市)
大澤山 常陽院 明圓寺(茨城県石岡市)2024/11/12 @ 8:58
今月(11月)の言葉

報恩講法要のご案内

謹啓、慈光照護のもと各位様には日々ご清祥の事と慶賀に存じ上げます。

さて、下記の日時に報恩講法要を厳修致したくご通知申し上げます。

ここ数年、コロナウイルスにより恒例の法要は控えておりましたが、大分落ち着いて参りましたので
何時もより1週間遅れではありますが、お勤めさせて頂く事に成りました。

つきましては、門信徒の皆様にご参詣下さります様、お知らせの程お願い申し上げます。

尚、当日は千本講中の当番によりお斎(お弁当)が用意されますので、どなた様もご自由に着座下さります様ご案内申し上げます。

    合  掌

 日  時

11月17日
午后1時より法要

講師 往西寺住職     
   佐野 善浩

 
令和6年11月  

大澤山常陽院明圓寺
大澤山 常陽院 明圓寺(茨城県石岡市)
大澤山 常陽院 明圓寺(茨城県石岡市)2024/10/24 @ 21:07
今月(10月)の言葉

「無常の風は時を選ばず」

仏教思想の根本には「諸行無常」が有りますが、およそこの世は常に変化し、移り行くものであると説かれているのです。

盛んなる者も必ず衰え、形あるものは必ず壊れる(盛者必滅)
又、どんな人でも、死は必ず平等に訪れる(生者必滅)と説かれています。

又、「老少不定」と言って死というものは、
老若や時節も問わずいつどの様に訪れるか分からないものです。
老人が先で、若者は後から死ぬと決まっているわけでも無いのです。

この一見儚く、悲観的で厭世的な「無常」と云う言葉の意味はだからこそ、現在(今)を大切に生きるべきであると説いているのです。

「無常の風」は、花を散らす風や嵐に人の命が奪われる「死」を喩えているのです。

「いづれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかとかし。」

意味

どの様な行も満足に修めることの出来ない私には、地獄が棲家の様に定まっているのです。

9歳で出家し、比叡山で20年間修行し千日回峰行も修めた親鸞聖人でさえ、この様に仰っておられるのだから、私共は地獄にしか行き様も無く
そんな私を事に哀れんで救うとお誓いになられた阿弥陀様に一切をおまかせするしか無いといただけるかどうかで、胸に響くお念仏かが決まるのでしょう。
「無常の風は、時を選ばず」なのです。

   南無阿弥陀

明圓寺の納骨堂・樹木葬「游心庵」

02
03
05
04
08
IMG_8228
20150802
img_6035
previous arrow
next arrow
02
03
05
04
08
IMG_8228
20150802
img_6035
previous arrow
next arrow

お墓とは『故人を偲ぶよすがとす』と言われております。私は、墓前で手を合わせる時は、亡き人を振り返り偲ぶだけではなく、それをご縁として、今、生かされている自分自身を映し出す場、そして、今、置かれている自分の立ち位置を確認する場として、自分を見つめ直す大切な時間を頂くことでありたいと考えます。

時系列的には、過去、現在、未来へと繋がって時間が流れて行きますが、仏教的思想では、現在をどう生きるかによって過去も未来も変わってくる、と考えます。つまり、今の生き方次第で過去からの生き様もわかるし、未来も見えてくるのです。

現代を生きる私達は、時には苦しみ、時には悲しみ、未来の自分に戸惑う事に遭遇します。

そんな時、この場に立つことでご安置された阿弥陀さまと亡き人の暖かい慈悲の御手に抱かれて、ほっとしていただきたい、そして、心を游ばせて欲しい、そんな思いから游心庵と名付けました。是非一度足をお運びください。合掌

明圓寺 住職 土肥千浩

納骨堂

今、生かされている自分自身の命の意味を見つめ直す大切な場として、個人、ご夫婦、現代の様々なライフスタイルの方、継承者のいない方が安心して眠る場として、皆様のご要望にお応えし、それぞれのご縁を永代に渡りお引き受け致します。
明圓寺は浄土真宗のお寺ですが、宗教・宗派・国籍を問わず、門戸を拡げて、より多くの方々にご利用していただきたいと思っております。ペット用の区画もご用意させていただきました。

20150802

樹木葬

親鸞聖人のご遺言のに、「躯(むくろ)は鳥辺野のほとりに捨てよ」という言葉があり、自然に還るという(真宗的)思想から、明圓寺においてもこれに習い、自然葬(樹木葬)の区画も設けさせていただきました。樹木葬エリアは各種ハーブが植えられた日当 たりの良い場所にあります。

kyodo

設計主旨

『心たゆたう場所』

青々と繁る竹林、天を仰ぐ杉の木立、かすかな形跡を残して続く小径。足下には無数の草花が生い茂る。林を抜ければ、緩やかな丘陵に柿園が広がり、その先には水田が水を湛える。石岡の郷の奥に位置する明圓寺は、多様な動植物を育むゆたかな里山に囲まれています。納骨堂建立に際して、住職は「亡くなった故人を振り返るだけではなく、それをきっかけに、いま生きている私たちの未来に思いを馳せる場所であってほしい」とおっしゃいました。様々な考え方、暮らし方をしている人々が、分け隔てられることなく心やすらぐ場所にしたい、とも。

私はこの場所を、日常の延長線上にありながらも、清廉な空気感を持ち、異世界との境界線であるような、意識がほんの少しだけ浮揚されるような場所にしたいと考えました。明圓寺本堂の背後に控える山林を歩いていると、木漏れ日が揺らぎ、心地よい風が吹き抜け、樹々の葉が風にそよぐ音が聞こえてきます。鳥や虫の鳴き声が聞こえ、遠くからは馬滝の水音すら聞こえてきます。これらはすべて石岡の郷が奏でる豊かな音の環境です。川の流れが一様に見えて常に形を変えていくように、いまここに生まれそして消えていく音と共にある場所にしたいと考えました。

その結果、明圓寺の山林の一角に、石岡の里山に傾けた耳のような、菩提樹を包み込む掌(たなごころ)のような場所ができました。広場の中に入ると、少しだけ外の世界と音の様子が変わります。ここではさまざまなイベントを行うことを想定しています。自然の光が差し込む明るいお堂の中では、読経の声が巡ります。大地が揺れ動いても動じることのない山々、大水で流されても再び何もなかったかのように芽吹く樹々草花。この場所が、そんな自然に寄り添い、人々と共に、長い時間かけて石岡の里山の一部となっていくことを心より望んでいます。

2015年 秋暑
建築家 松野勉
10958059_804988339573034_77540135910284149_n

游心庵エリアマップ