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大澤山 常陽院 明圓寺(茨城県石岡市)
大澤山 常陽院 明圓寺(茨城県石岡市)2022/09/04 @ 11:01
本当の自分を知る

「愚禿が心は、内は愚にして外は賢なり。」

私達人間は、外見をつくろうとする生き物です。
頭が良く人当たりも良い人格者の様に見えても、心の中は決して澄み切ってはいないものです。
むしろ、完璧に見える人ほど怒りやそねみなどの不満が、心の中を支配していることも多いのではないでしょうか。
親鸞聖人は自分自身を内面は煩悩で満ち溢れていのに外見を賢そうに見せたがる自分が存在している事に気づき、そんな自身を「愚禿」と名乗り「禿」の字を持って煩悩にとらわれた「凡夫」であるとさとり自分自身のあさましさへの深い悲しみと懺悔の気持ちを表しました。
今月は、秋彼岸の月です。
自分を見つめ直し、本当の自分の姿を知る時間を作って見ては如何でしょうか。
本当の自分の姿を知ることによって懺悔の思いも生まれ、阿弥陀様の願いにも心の目を向けるご縁に結びつくのではないでしょうか。
髪や服装の乱れが人に言われたり鏡に写って始めて直す事が出来るのと同じ様に人の生き様も人から言われたり、自分を見つめ直す事によって我が姿に気づき、本当の自分を知る事が出来るのではないでしょうか。
そして、初めて懺悔の気持ちも生まれ、直す事が出来るのです。
その事を阿弥陀様は、名号となって私達に伝え気づかせ様と何時も働きかけて下さっているのだと味合わせていだたたいております。
合掌
大澤山 常陽院 明圓寺(茨城県石岡市)
大澤山 常陽院 明圓寺(茨城県石岡市)2022/08/15 @ 7:53
お盆

毎日暑い日が続いておりますが、如何お過ごしでしょうか?
コロナも全国的に増えて来ている傾向にありますのでお盆明けが心配されます。
さて、お盆行事の由来ですが、中国の西晋時代に活躍した竺法護が翻訳したとされる「仏説盂蘭盆経」,異訳された「仏説報恩奉盆経」などが典拠となっています。
もっとも影響を与えたものが、「仏説盂蘭盆経」でした。
お盆の「盆」という言葉もこの盂蘭盆を簡略して表現したもので、古代インドの言語でサンスクリット語ではullambana(ウランバーナ)と言い、中国では「烏藍婆」(ウランバナ)などとも漢訳されました。
原語ullanbanaの意味をとった意訳は、「倒懸」となります。
天井から身体を逆さづりされた苦しみ、これが「倒懸」の苦しみです。
ですから、「盂蘭盆経」は「倒懸の苦しみ」から救われることを説いた教えであります。
「盂蘭盆経」には、釈迦弟子であった木蓮尊者が母を餓鬼道の苦しみから救い出すという話が説かれています。
これは、亡き父母を六神通の一つである道眼(天眼通)を持って見たところ餓鬼道の世界に生まれていて救おうとして、口に飯を入れようとすると炎と炭になってしまい、どうしても救い出す事が出来ず、お釈迦様に一部始終を話して救いを求めると旧暦の七月十五日の安居明けの衆僧供養をしなさいと言われました。
インドでは、四月になると梅雨に入り、この時期は微生物が沢山発生して、この乾季に遊行(歩き回る)して修行すると、微生物を踏み殺してしまうため、僧院や洞窟などに留まって修行に専念しました。
この雨期に籠って修行することを雨安居とか、夏安居といいます。
そして、木蓮尊者はお釈迦様のいわれた通り、安居明けの七月十五日を待って御斎を差し出し、衆僧供養をしたところ餓鬼道に落ちていた母親が立ちどころに救われたというのが起源とされております。
お釈迦様は、何を伝えたかったかと言うと、木蓮尊者が神通力を持って亡き母を見た時、実は多くの父母が餓鬼道に落ちていたのにかかわらず、木蓮尊者は自分の母親だけを救おうとしてしまいました。
仏教では、共に救われる世界をテーマとしておりますので、皆んなを救おうとしなければならなかった事に気づいて欲しかったのです。
母親だけを救う事は、自利(自分だけが救われれば良い)世界であって、だから母親を救い出す事が出来なかったのであって、全ての者が救われるために修行をして下さっている修行供養をする意味を知らしめるためであったのでした。
お盆の過ごし方としては、故人を偲びつつ感謝の想いと、自分が自己中心的な生き方に陥っていないかと足元を照らし、自分を見つめ直す時間として頂く事が、本来のお盆の過ごし方であると思われます。
人間は、自己中心的に陥り易い生き物ですから、毎年お盆を迎えるに当たって心がけたい事でありますね。
合掌

イベント履歴

開かれたお寺を目指して

大澤山(おおさわさん) 常陽院(じょうよういん) 明圓寺(みょうえんじ) は、親鸞聖人(しんらんしょうにん)から明法(みょうぼう)という名を授かった弟子・弁円(べんねん)が、仁治元年(1240年)真家村(現在の茨城県石岡市真家)に隠居の為に建立した浄土真宗のお寺です。明法の「明」とかつての名、弁円の「圓」の字をとって明圓寺と号されました。
四季折々の草花、馬滝の美しい流れる音、素晴らしい里山風景の中に佇む、歴史深い山寺です。ぜひお気軽にいらしてください。

合掌

明圓寺 住職

納骨堂・樹木葬「游心庵」建立に寄せて

お墓とは『故人を偲ぶよすがとす』と言われております。
 私は、墓前で手を合わせる時は、亡き人を振り返り偲ぶだけではなく、それをご縁として、今、生かされている自分自身を映し出す場、そして、今、置かれている自分の立ち位置を確認する場として、自分を見つめ直す大切な時間を頂くことでありたいと考えます。
 時系列的には、過去、現在、未来へと繋がって時間が流れて行きますが、仏教的思想では、現在をどう生きるかによって過去も未来も変わってくる、と考えます。つまり、今の生き方次第で過去からの生き様もわかるし、未来も見えてくるのです。
 現代を生きる私達は、時には苦しみ、時には悲しみ、未来の自分に戸惑う事に遭遇します。
 そんな時、この場に立つことでご安置された阿弥陀さまと亡き人の暖かい慈悲の御手に抱かれて、ほっとしていただきたい、そして、心を游ばせて欲しい、そんな思いから「游心庵」と名付けました。是非一度足をお運びください。
 

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ご見学は随時可能ですが、事前にご予約いただけますと
住職・坊守によるご案内・ご相談が可能です。

毎週土曜日は「游心庵」見学日としています(要予約)。

 
 

四季の明圓寺みょうえんじ


明圓寺は、豊かな里山の自然に囲まれた歴史のあるお寺です。 四季折々の風景を是非ご覧下さい。
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住職のご紹介


お気軽にお参りにいらしてください。
 

住職 土肥 千浩

土肥千浩プロフィール  

法名: 釋 千浩(しゃく せんこう)

  • 1960年 茨城県笠間市に生まれる。
  • 1977年 曹洞宗で得度習礼※1を受け僧侶となる。
  • 1979年 教師習礼※2をし、約10年間曹洞宗の僧侶として過ごす。
  • 1985年 大学で経済学部を卒業する。
  • 1986年 浄土真宗本願寺派に転派する。
  • 1986~96年  一般企業や団体職員として働き、社会経験を積む。
  • 1990年 当山住職となる。
    仏教学や真宗学の修学研鑽※3を深めるため、東京仏教学院の研究科に学ぶ。
  • 2007年~   法要儀式を行う事にとどまらず、お念仏をご縁としての文化活動や法話会などを通じて心を寄せられる窓口となりたいとの思いで、千葉県柏市に分院を開く。分院においては、子ども達の料理会を開いたり、カフェで茶話会を開き、日頃の不安や仏教に対する疑問などを一緒に考えて行く活動をしている。
    本院においても、2,3,5,6,7,10月の第2火曜日13:30から、近隣の住職を講師にむかえ、法話会を開いて門信徒さんの声に耳を傾けている。
    『これからも、気楽に、安らかに心を寄せられる穏やかな場として、広く沢山の人に慕われるお寺にして行きたいと願っております。』

NPO法人 アーユース仏教国際協力ネットワーク会員


※1得度習礼(とくどしゅらい): 在俗者が仏門に入る儀式の前の予行。

※2教師習礼(きょうししゅらい): 実践的なお得度のような習礼

※3修学研鑽(しゅうがくけんさん):学問や知識を深く究めること。


明圓寺開山のいわれ


人形説き・弁円のなみだより


明圓寺の印


『明圓寺の印』ができました。

 

 

明圓寺にお参り頂いた方に、記念に押印さし上げたいと思います。どうぞお気軽にお声かけ下さい。