大澤山 常陽院 明圓寺(茨城県石岡市)

住職 土井千浩(どいちひろ) 法名 釋千浩(しゃくせんこう)
大澤山 常陽院 明圓寺(茨城県石岡市)
大澤山 常陽院 明圓寺(茨城県石岡市)2024/10/24 @ 21:07
今月(10月)の言葉

「無常の風は時を選ばず」

仏教思想の根本には「諸行無常」が有りますが、およそこの世は常に変化し、移り行くものであると説かれているのです。

盛んなる者も必ず衰え、形あるものは必ず壊れる(盛者必滅)
又、どんな人でも、死は必ず平等に訪れる(生者必滅)と説かれています。

又、「老少不定」と言って死というものは、
老若や時節も問わずいつどの様に訪れるか分からないものです。
老人が先で、若者は後から死ぬと決まっているわけでも無いのです。

この一見儚く、悲観的で厭世的な「無常」と云う言葉の意味はだからこそ、現在(今)を大切に生きるべきであると説いているのです。

「無常の風」は、花を散らす風や嵐に人の命が奪われる「死」を喩えているのです。

「いづれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかとかし。」

意味

どの様な行も満足に修めることの出来ない私には、地獄が棲家の様に定まっているのです。

9歳で出家し、比叡山で20年間修行し千日回峰行も修めた親鸞聖人でさえ、この様に仰っておられるのだから、私共は地獄にしか行き様も無く
そんな私を事に哀れんで救うとお誓いになられた阿弥陀様に一切をおまかせするしか無いといただけるかどうかで、胸に響くお念仏かが決まるのでしょう。
「無常の風は、時を選ばず」なのです。

   南無阿弥陀
大澤山 常陽院 明圓寺(茨城県石岡市)
大澤山 常陽院 明圓寺(茨城県石岡市)2024/09/26 @ 10:20
今月(9月)の言葉

「雪のうちに春はきにけりうぐいすの
凍れる涙いまやとくらむ」

古今和歌集

この歌は、藤原高子の歌で、「うぐいすはずっと涙を凍らせていたのだけれど、春が来て涙が溶けていくのだから、思いっきり啼きなさい、うぐいすよ」と、業平の人生を慰撫し労り、感謝の気持ちと、「もう好きな様になさって下さい」と言う思いが籠っている歌であります。

藤原高子(たかいこ/こうし)

平安時代 清和天皇の女御、のちの皇太后

和歌のサロンを主宰して、漢詩の時代から和歌の仮名の文化を現代にまで広げる功績を残した女性です。

本当に、一番凍える程に悲しい時は涙は流せないものであって、落ち着いた時に「もう泣いて良いですよ」と言う思いが伝わる歌で有り、私達の人生にも投影される歌でも有るのです。

「思ふこと言はでぞただにやみぬべき
われとひとしき人のなければ」
    
   伊勢物語124段
     藤原業平

意味

思っていることは言わずに、そのまま終えるべきであろう。
私と同じ人などこの世には居ないのだから、心の底より解ってもらえるはずなどないのだ。

880年 業平は晩年病に伏せって、56歳で生涯を閉じました。

人生とは、神代の昔から思う様に行かないものであります。
何処か達観している部分や、もの悲しい部分も有ったりして
でも、生きているからこそ、今があるのだと言う事を味わいながら命終えて行くので有りましょう。

「ついに行く道とはかねて聞きしかど
昨日今日とは思わざりしを」

伊勢物語125段
      (最終章)

私も、この様な思いを迎える時は来るので有りましょうが、業平の様に、悲嘆もせず、絶望もせず、ありのままに、軽やかに、死を受け止められる様な生き方をしたいものです。
それこそが、阿弥陀様が願われている事なのではないでしょうか。

死に方は、生き方にも通じているものなのです。

    南無阿弥陀

       合 掌
大澤山 常陽院 明圓寺(茨城県石岡市)
大澤山 常陽院 明圓寺(茨城県石岡市)2024/08/03 @ 15:49
今月(8月)の言葉

「日日是好日」

    雲門文偃

これは、唐の時代の禅僧である雲門文偃(ウンモン ブンエン)の言葉で、日々の一喜一憂にとらわれずその日その日をただひたすらに生きる事が出来れば、それがいい日なのだと云う事です。

人生とは、ある日突然に何が起こるかよそも付かない物です。
人間の命は儚いもので、私達は誰もその事を予知出来ない物です。
だからこそ、"いま,,何が最も大切なのかを判断しなければならないのでは無いでしょうか。

先日、京都に行った折、携帯電話を忘れ一泊して起きると、いつの間にか腕時計の電池が切れており
又、前日の夕食に当たったのかお腹を下しており、散々でした。

そんな時こそ、今をどう生きるかが問われているのでしょうが、中々難しい物です。
過ぎてしまった事をいつまでも悔やんでいる人生ほど虚しい事は分かってはいるのですが。

「過ぎ去った日のことは悔いず、

まだこない未来にはあこがれず、

とりこし苦労をせず、

現在を大切にふみしめてゆけば、

身も心も健やかになるよ。」

 パーリ「中部経典」

現在の自分の在り方を見極める事の出来た人は、人生(生き方)も自然に定まっていく物で有ると、この言葉は悟しているのだと思われます。

過去や未来に拘るよりも、''いま,,の私が如何有るべきで有るかを正しく判断する事が重要であると、この言葉は教えているのでしょう。

過去や未来の事ばかり心配している人生ほど愚かな事で有り
今、この現在を如何有るべきで有るかが重要で、今まさに成すべき事をしっかりとしなさいと、仏陀は教えているのです。

今を清々しく生きる人生が、毎日の日々を素晴らしい人生に変えるのです。

心がけたい事ですね!

     合  掌

イベント履歴

開かれたお寺を目指して

大澤山(おおさわさん) 常陽院(じょうよういん) 明圓寺(みょうえんじ) は、親鸞聖人(しんらんしょうにん)から明法(みょうぼう)という名を授かった弟子・弁円(べんねん)が、仁治元年(1240年)真家村(現在の茨城県石岡市真家)に隠居の為に建立した浄土真宗のお寺です。明法の「明」とかつての名、弁円の「圓」の字をとって明圓寺と号されました。
四季折々の草花、馬滝の美しい流れる音、素晴らしい里山風景の中に佇む、歴史深い山寺です。ぜひお気軽にいらしてください。

合掌

明圓寺 住職

納骨堂・樹木葬「游心庵」建立に寄せて

お墓とは『故人を偲ぶよすがとす』と言われております。
 私は、墓前で手を合わせる時は、亡き人を振り返り偲ぶだけではなく、それをご縁として、今、生かされている自分自身を映し出す場、そして、今、置かれている自分の立ち位置を確認する場として、自分を見つめ直す大切な時間を頂くことでありたいと考えます。
 時系列的には、過去、現在、未来へと繋がって時間が流れて行きますが、仏教的思想では、現在をどう生きるかによって過去も未来も変わってくる、と考えます。つまり、今の生き方次第で過去からの生き様もわかるし、未来も見えてくるのです。
 現代を生きる私達は、時には苦しみ、時には悲しみ、未来の自分に戸惑う事に遭遇します。
 そんな時、この場に立つことでご安置された阿弥陀さまと亡き人の暖かい慈悲の御手に抱かれて、ほっとしていただきたい、そして、心を游ばせて欲しい、そんな思いから「游心庵」と名付けました。是非一度足をお運びください。
 

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ご見学は随時可能ですが、事前にご予約いただけますと
住職・坊守によるご案内・ご相談が可能です。

毎週土曜日は「游心庵」見学日としています(要予約)。

 

住職のご紹介


お気軽にお参りにいらしてください。
 

住職 土肥 千浩

土肥千浩プロフィール  

法名: 釋 千浩(しゃく せんこう)

  • 1960年 茨城県笠間市に生まれる。
  • 1977年 曹洞宗で得度習礼※1を受け僧侶となる。
  • 1979年 教師習礼※2をし、約10年間曹洞宗の僧侶として過ごす。
  • 1985年 大学で経済学部を卒業する。
  • 1986年 浄土真宗本願寺派に転派する。
  • 1986~96年  一般企業や団体職員として働き、社会経験を積む。
  • 1990年 当山住職となる。
    仏教学や真宗学の修学研鑽※3を深めるため、東京仏教学院の研究科に学ぶ。
  • 2007年~   法要儀式を行う事にとどまらず、お念仏をご縁としての文化活動や法話会などを通じて心を寄せられる窓口となりたいとの思いで、千葉県柏市に分院を開く。分院においては、子ども達の料理会を開いたり、カフェで茶話会を開き、日頃の不安や仏教に対する疑問などを一緒に考えて行く活動をしている。
    本院においても、2,3,5,6,7,10月の第2火曜日13:30から、近隣の住職を講師にむかえ、法話会を開いて門信徒さんの声に耳を傾けている。
    『これからも、気楽に、安らかに心を寄せられる穏やかな場として、広く沢山の人に慕われるお寺にして行きたいと願っております。』

NPO法人 アーユース仏教国際協力ネットワーク会員


※1得度習礼(とくどしゅらい): 在俗者が仏門に入る儀式の前の予行。

※2教師習礼(きょうししゅらい): 実践的なお得度のような習礼

※3修学研鑽(しゅうがくけんさん):学問や知識を深く究めること。


明圓寺開山のいわれ


人形説き・弁円のなみだより


明圓寺の印


『明圓寺の印』ができました。

 

 

明圓寺にお参り頂いた方に、記念に押印さし上げたいと思います。どうぞお気軽にお声かけ下さい。