大澤山 常陽院 明圓寺(茨城県石岡市)

住職 土井千浩(どいちひろ) 法名 釋千浩(しゃくせんこう)
大澤山 常陽院 明圓寺(茨城県石岡市)
大澤山 常陽院 明圓寺(茨城県石岡市)2025/01/07 @ 14:25
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今月(1月)の言葉

「過去、現在、未来の区別は、
どんなに言い張っても、単なる幻想である。」

アインシュタイン

昨年は、何かと有難うございました。
本年も、相変わらず宜しくお願い申し上げます。

さて、先月12月22日に明圓寺第二十八世前坊守であった母親が、97歳を一期に往生の素懐を遂げました。

母は、醤油醸造家の総領娘として生まれ
9人の妹弟のまとめ役をして来ました。

当寺は、父親の叔父の寺で、昭和48年に家族で笠間市から養子縁組をして入寺致しました。

平成元年に父親が他界してから、ずっと中心になって当寺を守って参りました。

若い時から電話局に勤め、NTTになってからも頑張って、41年勤続した強い母でした。

母は、何時も男女平等論を語っており、
現在の様に結婚した後も、女性が勤める事の道筋を引いた一人でもあったのです。

趣味は読書で、仕事から帰宅すると直ぐに、本を開いていた姿に私は首を傾げていました。
私の知識は、母親から伝授されたもので出来ていると言っても過言では無いのです。

白骨の御文書は数え切れない程、拝読して参ったのですが、母親が亡くなった事は実感が無く、収骨していた自分がわからない存在でした。

「年老いて腰が曲がった者には、死は、解放としてやって来ます。自分自身が年老いて、死を、最後には、返さなければならぬ古い借金の様なものだと思う様になった今、つくづくそう感じます。」

アインシュタイン

母親も、晩年こんな事を思っていたのかも知れません。
生前、母は私に長生き出来ているのは、両親を早く亡くし後、
妹弟を面倒見て全てを見送ったご褒美で有ると語っておりました。
もう一つ、「あんたがしっかりしないから死ねないでいるのよ。」と、大きな声で叱咤しておりました。

そんな事を考えていますと、三世は単なる幻想に思えて来るのです。

「十方微塵世界の念仏の衆生を、みそなはし、摂取して捨てざれば阿弥陀となづけたてまつる」

浄土和讃 親鸞聖人

こんな私でも、阿弥陀様は捨てずして摂取して下さりますか、
わかっている心算では居るのですが、疑ってしまう、自分が有ります。

    合  掌
大澤山 常陽院 明圓寺(茨城県石岡市)
大澤山 常陽院 明圓寺(茨城県石岡市)2024/12/18 @ 15:40
今月(12月)の言葉

「和を貴しとし、忤うることなきを宗とせよ。 
人皆党有り。また達る者なし。
…上和らぎ下睦びて、
事を論うに諧うときは、事理自ずから通う。 
何事か成らざらん」と。
         
聖徳太子
   「十七条憲法」

心静かに勝敗を投げうつ心を教えてくれる十七条憲法の第一条です。

人間は慈愛心を持っているものの、闘争心や征服欲も同時に持ち合わせているものです。
争いを避け様と思っていても、利害や立場、名誉というものが絡むと、気持ちと反して歯止めが利かなくなってしまう事が有ります。

「争いに勝てば相手に憎まれ、争いに負ければ起居に苦悩が残る 心静かに勝敗をなげうて」

法句経

誰しも、喧嘩や争いを経験しているものですが、争いが終わってしまうと、あと味は勝っても負けても、どちらにしても空虚さが残ります。

師走に入り忙しくしておりますと、ついついイライラしてしまい、争いや喧嘩をしてしまいがちですが、法句経や聖徳太子のお言葉を思い浮かべて見る事が、特に必要な月でも有ります。

心静かに勝敗を投げうつ心でいる事は難しい事でありますが一年の締めくくりの月で有りますので、心掛けたいものですね。

今年も、一年間お付き合い頂きました事
心より御礼申し上げてます。
来年も、よろしくお願い致します。

良いお年をお迎え下さい。

     合 掌
大澤山 常陽院 明圓寺(茨城県石岡市)
大澤山 常陽院 明圓寺(茨城県石岡市)2024/12/07 @ 22:33
今月(12月)の言葉

「人生における苦しみは、すべて如来の励ましである」

   曽我 量深

お釈迦様は、人生は苦であると説かれ、それを明らかに観る事が仏法の原点であり、「苦集滅道の四諦」を説かれた。

苦は、人生における苦しみで四苦八苦をさし、

集は、苦の原因である煩悩の集積のことである。

滅は、その煩悩を尽くした涅槃(ねはん)を意味し、

道は、涅槃に達するための八正道のこと。

釈迦は、この理を悟って成仏した。(四諦)

後に、善導大師は「人間の身体は苦を入れる器であり、人間の心は悩み始める糸口」であると説かれました。

曽我先生は、我が身に押し寄せて来る業苦と対決し、付き合いながら真宗学と向き合い現実的な処世教学を樹立させた。

又、親鸞聖人に於いては、比叡山での二十年の難行苦行、研鑽の後流罪となり、そこでの生活を「吾れもし配所に赴かずば
いかでか辺鄙の郡類を化せん」と享受されました。

苦を、すべて如来の励ましとして受け取る時に、そこにやっと光がさして来て、苦を乗り越えるどころか苦そのものが生きる糧となるのです。

この境地に至るには、もう少し時間がかかりそうである。

そんな事を今更ながらに云うのも呆れられてしまいそうですが、現在の心境に他ならないのです。

    合  掌

イベント履歴

開かれたお寺を目指して

大澤山(おおさわさん) 常陽院(じょうよういん) 明圓寺(みょうえんじ) は、親鸞聖人(しんらんしょうにん)から明法(みょうぼう)という名を授かった弟子・弁円(べんねん)が、仁治元年(1240年)真家村(現在の茨城県石岡市真家)に隠居の為に建立した浄土真宗のお寺です。明法の「明」とかつての名、弁円の「圓」の字をとって明圓寺と号されました。
四季折々の草花、馬滝の美しい流れる音、素晴らしい里山風景の中に佇む、歴史深い山寺です。ぜひお気軽にいらしてください。

合掌

明圓寺 住職

納骨堂・樹木葬「游心庵」建立に寄せて

お墓とは『故人を偲ぶよすがとす』と言われております。
 私は、墓前で手を合わせる時は、亡き人を振り返り偲ぶだけではなく、それをご縁として、今、生かされている自分自身を映し出す場、そして、今、置かれている自分の立ち位置を確認する場として、自分を見つめ直す大切な時間を頂くことでありたいと考えます。
 時系列的には、過去、現在、未来へと繋がって時間が流れて行きますが、仏教的思想では、現在をどう生きるかによって過去も未来も変わってくる、と考えます。つまり、今の生き方次第で過去からの生き様もわかるし、未来も見えてくるのです。
 現代を生きる私達は、時には苦しみ、時には悲しみ、未来の自分に戸惑う事に遭遇します。
 そんな時、この場に立つことでご安置された阿弥陀さまと亡き人の暖かい慈悲の御手に抱かれて、ほっとしていただきたい、そして、心を游ばせて欲しい、そんな思いから「游心庵」と名付けました。是非一度足をお運びください。
 

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ご見学は随時可能ですが、事前にご予約いただけますと
住職・坊守によるご案内・ご相談が可能です。

毎週土曜日は「游心庵」見学日としています(要予約)。

 

住職のご紹介


お気軽にお参りにいらしてください。
 

住職 土肥 千浩

土肥千浩プロフィール  

法名: 釋 千浩(しゃく せんこう)

  • 1960年 茨城県笠間市に生まれる。
  • 1977年 曹洞宗で得度習礼※1を受け僧侶となる。
  • 1979年 教師習礼※2をし、約10年間曹洞宗の僧侶として過ごす。
  • 1985年 大学で経済学部を卒業する。
  • 1986年 浄土真宗本願寺派に転派する。
  • 1986~96年  一般企業や団体職員として働き、社会経験を積む。
  • 1990年 当山住職となる。
    仏教学や真宗学の修学研鑽※3を深めるため、東京仏教学院の研究科に学ぶ。
  • 2007年~   法要儀式を行う事にとどまらず、お念仏をご縁としての文化活動や法話会などを通じて心を寄せられる窓口となりたいとの思いで、千葉県柏市に分院を開く。分院においては、子ども達の料理会を開いたり、カフェで茶話会を開き、日頃の不安や仏教に対する疑問などを一緒に考えて行く活動をしている。
    本院においても、2,3,5,6,7,10月の第2火曜日13:30から、近隣の住職を講師にむかえ、法話会を開いて門信徒さんの声に耳を傾けている。
    『これからも、気楽に、安らかに心を寄せられる穏やかな場として、広く沢山の人に慕われるお寺にして行きたいと願っております。』

NPO法人 アーユース仏教国際協力ネットワーク会員


※1得度習礼(とくどしゅらい): 在俗者が仏門に入る儀式の前の予行。

※2教師習礼(きょうししゅらい): 実践的なお得度のような習礼

※3修学研鑽(しゅうがくけんさん):学問や知識を深く究めること。


明圓寺開山のいわれ


人形説き・弁円のなみだより


明圓寺の印


『明圓寺の印』ができました。

 

 

明圓寺にお参り頂いた方に、記念に押印さし上げたいと思います。どうぞお気軽にお声かけ下さい。