ご見学は随時可能ですが、事前にご予約いただけますとご案内・ご相談が可能です。

毎週土曜日は「游心庵」見学日としています(要予約)。

お知らせ

大澤山 常陽院 明圓寺(茨城県石岡市)
大澤山 常陽院 明圓寺(茨城県石岡市)2022/10/21 @ 16:30
今月の言葉

「民疲弊すれば国荒廃し、民豊なれば国栄える。心豊かなれば人は人なり、人が人なれば国栄える。」
民富論
       
        大塩平八郎

今月は、ちょっと違った角度から人の在り方を伺って見たいと思います。
近頃、中々厄介な問題で国会で議論がなされている様です。
色々な問題があるのであろうと想像はつくのですが、基本的に、国民あっての日本国である意味を見失ってしまうと、国は荒廃してしまう様に思われます。
政権が政党が云々と、自己中心的な利益を貪っている次元の問題ではない局面に思われます。
人として、心豊かな精神を取り戻して欲しいと国民皆んなが願っているのではないのでしょうか!
親鸞聖人は、この世は五濁悪事悪世界と表現しておりますが、そんな世界の中で真実を人は求めているのではないのでしょうか。
         合  掌
大澤山 常陽院 明圓寺(茨城県石岡市)
大澤山 常陽院 明圓寺(茨城県石岡市)2022/09/04 @ 11:01
本当の自分を知る

「愚禿が心は、内は愚にして外は賢なり。」

私達人間は、外見をつくろうとする生き物です。
頭が良く人当たりも良い人格者の様に見えても、心の中は決して澄み切ってはいないものです。
むしろ、完璧に見える人ほど怒りやそねみなどの不満が、心の中を支配していることも多いのではないでしょうか。
親鸞聖人は自分自身を内面は煩悩で満ち溢れていのに外見を賢そうに見せたがる自分が存在している事に気づき、そんな自身を「愚禿」と名乗り「禿」の字を持って煩悩にとらわれた「凡夫」であるとさとり自分自身のあさましさへの深い悲しみと懺悔の気持ちを表しました。
今月は、秋彼岸の月です。
自分を見つめ直し、本当の自分の姿を知る時間を作って見ては如何でしょうか。
本当の自分の姿を知ることによって懺悔の思いも生まれ、阿弥陀様の願いにも心の目を向けるご縁に結びつくのではないでしょうか。
髪や服装の乱れが人に言われたり鏡に写って始めて直す事が出来るのと同じ様に人の生き様も人から言われたり、自分を見つめ直す事によって我が姿に気づき、本当の自分を知る事が出来るのではないでしょうか。
そして、初めて懺悔の気持ちも生まれ、直す事が出来るのです。
その事を阿弥陀様は、名号となって私達に伝え気づかせ様と何時も働きかけて下さっているのだと味合わせていだたたいております。
合掌

明圓寺の納骨堂・樹木葬「游心庵」

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お墓とは『故人を偲ぶよすがとす』と言われております。私は、墓前で手を合わせる時は、亡き人を振り返り偲ぶだけではなく、それをご縁として、今、生かされている自分自身を映し出す場、そして、今、置かれている自分の立ち位置を確認する場として、自分を見つめ直す大切な時間を頂くことでありたいと考えます。

時系列的には、過去、現在、未来へと繋がって時間が流れて行きますが、仏教的思想では、現在をどう生きるかによって過去も未来も変わってくる、と考えます。つまり、今の生き方次第で過去からの生き様もわかるし、未来も見えてくるのです。

現代を生きる私達は、時には苦しみ、時には悲しみ、未来の自分に戸惑う事に遭遇します。

そんな時、この場に立つことでご安置された阿弥陀さまと亡き人の暖かい慈悲の御手に抱かれて、ほっとしていただきたい、そして、心を游ばせて欲しい、そんな思いから游心庵と名付けました。是非一度足をお運びください。合掌

明圓寺 住職 土肥千浩

納骨堂

今、生かされている自分自身の命の意味を見つめ直す大切な場として、個人、ご夫婦、現代の様々なライフスタイルの方、継承者のいない方が安心して眠る場として、皆様のご要望にお応えし、それぞれのご縁を永代に渡りお引き受け致します。
明圓寺は浄土真宗のお寺ですが、宗教・宗派・国籍を問わず、門戸を拡げて、より多くの方々にご利用していただきたいと思っております。ペット用の区画もご用意させていただきました。

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樹木葬

親鸞聖人のご遺言のに、「躯(むくろ)は鳥辺野のほとりに捨てよ」という言葉があり、自然に還るという(真宗的)思想から、明圓寺においてもこれに習い、自然葬(樹木葬)の区画も設けさせていただきました。樹木葬エリアは各種ハーブが植えられた日当 たりの良い場所にあります。

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設計主旨

『心たゆたう場所』

青々と繁る竹林、天を仰ぐ杉の木立、かすかな形跡を残して続く小径。足下には無数の草花が生い茂る。林を抜ければ、緩やかな丘陵に柿園が広がり、その先には水田が水を湛える。石岡の郷の奥に位置する明圓寺は、多様な動植物を育むゆたかな里山に囲まれています。納骨堂建立に際して、住職は「亡くなった故人を振り返るだけではなく、それをきっかけに、いま生きている私たちの未来に思いを馳せる場所であってほしい」とおっしゃいました。様々な考え方、暮らし方をしている人々が、分け隔てられることなく心やすらぐ場所にしたい、とも。

私はこの場所を、日常の延長線上にありながらも、清廉な空気感を持ち、異世界との境界線であるような、意識がほんの少しだけ浮揚されるような場所にしたいと考えました。明圓寺本堂の背後に控える山林を歩いていると、木漏れ日が揺らぎ、心地よい風が吹き抜け、樹々の葉が風にそよぐ音が聞こえてきます。鳥や虫の鳴き声が聞こえ、遠くからは馬滝の水音すら聞こえてきます。これらはすべて石岡の郷が奏でる豊かな音の環境です。川の流れが一様に見えて常に形を変えていくように、いまここに生まれそして消えていく音と共にある場所にしたいと考えました。

その結果、明圓寺の山林の一角に、石岡の里山に傾けた耳のような、菩提樹を包み込む掌(たなごころ)のような場所ができました。広場の中に入ると、少しだけ外の世界と音の様子が変わります。ここではさまざまなイベントを行うことを想定しています。自然の光が差し込む明るいお堂の中では、読経の声が巡ります。大地が揺れ動いても動じることのない山々、大水で流されても再び何もなかったかのように芽吹く樹々草花。この場所が、そんな自然に寄り添い、人々と共に、長い時間かけて石岡の里山の一部となっていくことを心より望んでいます。

2015年 秋暑
建築家 松野勉
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游心庵エリアマップ