ご見学は随時可能ですが、事前にご予約いただけますとご案内・ご相談が可能です。

毎週土曜日は「游心庵」見学日としています(要予約)。

お知らせ

大澤山 常陽院 明圓寺(茨城県石岡市)
大澤山 常陽院 明圓寺(茨城県石岡市)2023/03/15 @ 13:35
春彼岸

3月21日(火) 13:00より游心庵合同法要が本堂で、住職によってお勤めされます。
お時間の許す方は、どうぞお参り下さい。

彼岸は日本で始まった仏教行事と言われています。
「彼岸」とは生死を超えたさとりの世界である浄土の事で、浄土真宗では浄土に思いをはせ、仏徳讃嘆、仏恩報謝の思いを新たにする法要とされています。

游心庵の白木蓮が満開に咲いております。
春の日の柔らかく、暖かい陽光に身を包まれながら、故人を偲びつつ阿弥陀さまの光明のお徳(照育.破闇.摂取)を充分に味わわせて頂きたいものですね。
きっと、心暖まる事と思いますよ。
合掌
大澤山 常陽院 明圓寺(茨城県石岡市)
大澤山 常陽院 明圓寺(茨城県石岡市)2023/03/03 @ 9:30
今月(3月)の言葉

「思いきや 深山の奥に すまいして 
        雲井の月を よそに見んとは」

建礼門院(徳子)

 (おもいきや、みやまのおくに すまいして
      くもいのつきを、よそにみんとは)

 くもい・・・皇居 宮中

 よそ・・・余所 かけはなれた所

 意味

 この様な深山の奥に寂しく住んで、昔宮中で楽しく眺めた月を、落ちぶれた者として眺める身の上になろうなどと思ったであろうか。全く思いがけないことであった。

 昔は、平清盛の娘として高倉天皇の皇后として振る舞っていたが、源平の壇ノ浦の戦いで負け出家して寂光院で尼の姿になった。その昔は、錦などの立派な織物を着ていたが、今は麻の衣や紙で作った寝具。あの宮中にいた頃は、こんな身にま で落ちぶれるとは思っていただろうか。

 さて、私事ですが、この建礼門(徳子)の歌が身に滲みる所があります。私は、宮中ではありませんが、生まれ育った所は日中、街頭にはスピーカーから商店のコマーシャルが流れ、稲荷神社参拝の観光バスが毎日何十台も訪れ、通学路の帰り路花街に灯りがともる頃、三味線を抱えた着物姿の芸者さん達が行き交い、あちこちで打ち水の音を耳にしながら下校していたものでした。
 山寺に入り、入寺して間もなく父親も亡くなり、灯りも音もない深山に住み、知る人もなく寂しく過ごして来ました。月影が心に一筋の光が差すには闇は深すぎる人生だった様に思われます。しかし、長い間浮世離れした時間を過ごすと、この地も良い地の様に感じてもおります。
 
 建礼門院(徳子)は、次の様な感慨も漏らす歌も詠んでおります。

「やまざとは 物のさびしき事こそあれ 
       世の憂きよりは住みよかりけり」

 (この様な山里での暮らしは、何となく寂しいのですけれど、憂いにみちた浮世にいるよりは住みやすいのです)

 しかし、次の様な歌も詠っています。

「いざさらば、涙くらべん郭公 
       われも憂き世に音をのみぞなく」

(さあ、それでは、私と涙を比べましょう。ほととぎすよ。私もこの辛い世の中で泣いてばかりいます。)

 建礼門院(徳子)は、一人ぼっちになってしまった自分が悲しかったのでしょう。
 私は、人生を振り返り、
「念仏のみぞ まことにおわしまします」
と、問いかける日々を送っております。

  南無阿弥陀仏

                合掌

明圓寺の納骨堂・樹木葬「游心庵」

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お墓とは『故人を偲ぶよすがとす』と言われております。私は、墓前で手を合わせる時は、亡き人を振り返り偲ぶだけではなく、それをご縁として、今、生かされている自分自身を映し出す場、そして、今、置かれている自分の立ち位置を確認する場として、自分を見つめ直す大切な時間を頂くことでありたいと考えます。

時系列的には、過去、現在、未来へと繋がって時間が流れて行きますが、仏教的思想では、現在をどう生きるかによって過去も未来も変わってくる、と考えます。つまり、今の生き方次第で過去からの生き様もわかるし、未来も見えてくるのです。

現代を生きる私達は、時には苦しみ、時には悲しみ、未来の自分に戸惑う事に遭遇します。

そんな時、この場に立つことでご安置された阿弥陀さまと亡き人の暖かい慈悲の御手に抱かれて、ほっとしていただきたい、そして、心を游ばせて欲しい、そんな思いから游心庵と名付けました。是非一度足をお運びください。合掌

明圓寺 住職 土肥千浩

納骨堂

今、生かされている自分自身の命の意味を見つめ直す大切な場として、個人、ご夫婦、現代の様々なライフスタイルの方、継承者のいない方が安心して眠る場として、皆様のご要望にお応えし、それぞれのご縁を永代に渡りお引き受け致します。
明圓寺は浄土真宗のお寺ですが、宗教・宗派・国籍を問わず、門戸を拡げて、より多くの方々にご利用していただきたいと思っております。ペット用の区画もご用意させていただきました。

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樹木葬

親鸞聖人のご遺言のに、「躯(むくろ)は鳥辺野のほとりに捨てよ」という言葉があり、自然に還るという(真宗的)思想から、明圓寺においてもこれに習い、自然葬(樹木葬)の区画も設けさせていただきました。樹木葬エリアは各種ハーブが植えられた日当 たりの良い場所にあります。

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設計主旨

『心たゆたう場所』

青々と繁る竹林、天を仰ぐ杉の木立、かすかな形跡を残して続く小径。足下には無数の草花が生い茂る。林を抜ければ、緩やかな丘陵に柿園が広がり、その先には水田が水を湛える。石岡の郷の奥に位置する明圓寺は、多様な動植物を育むゆたかな里山に囲まれています。納骨堂建立に際して、住職は「亡くなった故人を振り返るだけではなく、それをきっかけに、いま生きている私たちの未来に思いを馳せる場所であってほしい」とおっしゃいました。様々な考え方、暮らし方をしている人々が、分け隔てられることなく心やすらぐ場所にしたい、とも。

私はこの場所を、日常の延長線上にありながらも、清廉な空気感を持ち、異世界との境界線であるような、意識がほんの少しだけ浮揚されるような場所にしたいと考えました。明圓寺本堂の背後に控える山林を歩いていると、木漏れ日が揺らぎ、心地よい風が吹き抜け、樹々の葉が風にそよぐ音が聞こえてきます。鳥や虫の鳴き声が聞こえ、遠くからは馬滝の水音すら聞こえてきます。これらはすべて石岡の郷が奏でる豊かな音の環境です。川の流れが一様に見えて常に形を変えていくように、いまここに生まれそして消えていく音と共にある場所にしたいと考えました。

その結果、明圓寺の山林の一角に、石岡の里山に傾けた耳のような、菩提樹を包み込む掌(たなごころ)のような場所ができました。広場の中に入ると、少しだけ外の世界と音の様子が変わります。ここではさまざまなイベントを行うことを想定しています。自然の光が差し込む明るいお堂の中では、読経の声が巡ります。大地が揺れ動いても動じることのない山々、大水で流されても再び何もなかったかのように芽吹く樹々草花。この場所が、そんな自然に寄り添い、人々と共に、長い時間かけて石岡の里山の一部となっていくことを心より望んでいます。

2015年 秋暑
建築家 松野勉
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游心庵エリアマップ