ご見学は随時可能ですが、事前にご予約いただけますとご案内・ご相談が可能です。

毎週土曜日は「游心庵」見学日としています(要予約)。

お知らせ

大澤山 常陽院 明圓寺(茨城県石岡市)
大澤山 常陽院 明圓寺(茨城県石岡市)2023/06/03 @ 14:33
今月(6月)の言葉

「・・・鈴と小鳥とそれから私、
          みんなちがって みんないい」

これは、金子みすゞの
「さみしい王女」の中にある「私と小鳥と鈴と」と言う詩の結びの句であります。

それぞれ違っている事が素晴らしいと肯定する広い心で世界を包むのです。

私達が社会で生きる事は、
足並みを揃えて平均化される事が求められた様に思えます。
そこから逸脱した言動や意思表示をする事は、社会から粛清されなければならなかった現実があった様に感じております。
我々は、つい最近までそんな社会の仕組みの中で生きて来た様に思われます。
しかし、最近は大分寛容な社会になって来ている様に思われますが、女性差別、人種差別、LGBTQ etc…
と言ったものが現存している中で、有能な人材が日の目を見る事無く埋もれてしまっている現状が続いている様に思われます。

仏説阿弥陀経の中に、「青色青光」「黄色黄光」「赤色赤光」「白色白光」と言う教えが有り、人は違う色に無理やり合わせて輝こうとするのでは無く、その人が持った色で輝く事が大切であると教えているのです。
色々な多様性があって良いのだと説いているのです。
又、それぞれの価値を認め
それぞれの個性のままで良いと説いているのです。
つまり、個々の存在を認め
お互いを尊重する社会、正に「みんなちがってみんないい」と言う思いに社会全体が変わる事が大切であると思われます。

それは、憧憬の眼差しで終わるのでは無く、差別・偏見に疑問を感じた時、他人が創る平等の世界では無く
一人一人の意識の変革が伴った主体性が必要とされるのです。

発展途上の日本に於いて
人を差別化し、同調化させる事は必要なところもあったのかも知れませんが、現代に於いて差別や偏見を続ける事は、世界的にも日本国内に於いてもマイナスで有り、人間社会を衰退させる要因で有り、国際社会から置き去りにされてしまう事態に陥る事に成り得ると思われます。
カースト的ピラミッド型社会の形成にも繋がっている様に思えるのです。

皆んなが唯一無二の存在で有り、その事をお互いが尊重し、認め合う精神が必要とされる時代に変わりつつある事を認識し、生きやすい社会へと変わって行かなければならないのでは無いのでしょうか。

                合   掌
大澤山 常陽院 明圓寺(茨城県石岡市)
大澤山 常陽院 明圓寺(茨城県石岡市)2023/05/05 @ 12:18
今月(5月)の言葉

「人の一生は、重荷を負う て遠き道を行くがごとし。
急ぐべからす。不自由を常と思えば不足なし。
こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。
堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え。」

        徳川 家康

5月の連休も楽しみにしていたのですが、あっという間の事でした。
楽しい事は思っているよりも早く過ぎ、嫌な事は長く感じるものです。
お釈迦様の云う様に「人生は苦なり」と言う言葉を思い浮かべる様にはしているのですが、経済の成長と共にぬるま湯に浸かり過ぎた様に思われます。

私の子供の頃は、不自由が当たり前で望みを持っても殆どが叶わない夢の様なもので、辛抱することが美徳とされた時代を生きて来た様に思われます。
所謂、「贅沢は敵なり」と言う言葉が持ち囃された時代です。
昭和40年後半頃から、高度経済成長期に入りバブル時代を経験し、少しタガが弛んだ感が有ります。

「越路なるあらちの山に行きつかれ、
足も血潮に染しばかりぞ」

親鸞聖人

親鸞聖人が命がけでお念仏の世界を伝える為に、ご苦労様された事にもっと感謝の思いを呼び覚まし、真摯に人生に向き合わなければならないと反省するこの頃です。

         合  掌

明圓寺の納骨堂・樹木葬「游心庵」

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お墓とは『故人を偲ぶよすがとす』と言われております。私は、墓前で手を合わせる時は、亡き人を振り返り偲ぶだけではなく、それをご縁として、今、生かされている自分自身を映し出す場、そして、今、置かれている自分の立ち位置を確認する場として、自分を見つめ直す大切な時間を頂くことでありたいと考えます。

時系列的には、過去、現在、未来へと繋がって時間が流れて行きますが、仏教的思想では、現在をどう生きるかによって過去も未来も変わってくる、と考えます。つまり、今の生き方次第で過去からの生き様もわかるし、未来も見えてくるのです。

現代を生きる私達は、時には苦しみ、時には悲しみ、未来の自分に戸惑う事に遭遇します。

そんな時、この場に立つことでご安置された阿弥陀さまと亡き人の暖かい慈悲の御手に抱かれて、ほっとしていただきたい、そして、心を游ばせて欲しい、そんな思いから游心庵と名付けました。是非一度足をお運びください。合掌

明圓寺 住職 土肥千浩

納骨堂

今、生かされている自分自身の命の意味を見つめ直す大切な場として、個人、ご夫婦、現代の様々なライフスタイルの方、継承者のいない方が安心して眠る場として、皆様のご要望にお応えし、それぞれのご縁を永代に渡りお引き受け致します。
明圓寺は浄土真宗のお寺ですが、宗教・宗派・国籍を問わず、門戸を拡げて、より多くの方々にご利用していただきたいと思っております。ペット用の区画もご用意させていただきました。

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樹木葬

親鸞聖人のご遺言のに、「躯(むくろ)は鳥辺野のほとりに捨てよ」という言葉があり、自然に還るという(真宗的)思想から、明圓寺においてもこれに習い、自然葬(樹木葬)の区画も設けさせていただきました。樹木葬エリアは各種ハーブが植えられた日当 たりの良い場所にあります。

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設計主旨

『心たゆたう場所』

青々と繁る竹林、天を仰ぐ杉の木立、かすかな形跡を残して続く小径。足下には無数の草花が生い茂る。林を抜ければ、緩やかな丘陵に柿園が広がり、その先には水田が水を湛える。石岡の郷の奥に位置する明圓寺は、多様な動植物を育むゆたかな里山に囲まれています。納骨堂建立に際して、住職は「亡くなった故人を振り返るだけではなく、それをきっかけに、いま生きている私たちの未来に思いを馳せる場所であってほしい」とおっしゃいました。様々な考え方、暮らし方をしている人々が、分け隔てられることなく心やすらぐ場所にしたい、とも。

私はこの場所を、日常の延長線上にありながらも、清廉な空気感を持ち、異世界との境界線であるような、意識がほんの少しだけ浮揚されるような場所にしたいと考えました。明圓寺本堂の背後に控える山林を歩いていると、木漏れ日が揺らぎ、心地よい風が吹き抜け、樹々の葉が風にそよぐ音が聞こえてきます。鳥や虫の鳴き声が聞こえ、遠くからは馬滝の水音すら聞こえてきます。これらはすべて石岡の郷が奏でる豊かな音の環境です。川の流れが一様に見えて常に形を変えていくように、いまここに生まれそして消えていく音と共にある場所にしたいと考えました。

その結果、明圓寺の山林の一角に、石岡の里山に傾けた耳のような、菩提樹を包み込む掌(たなごころ)のような場所ができました。広場の中に入ると、少しだけ外の世界と音の様子が変わります。ここではさまざまなイベントを行うことを想定しています。自然の光が差し込む明るいお堂の中では、読経の声が巡ります。大地が揺れ動いても動じることのない山々、大水で流されても再び何もなかったかのように芽吹く樹々草花。この場所が、そんな自然に寄り添い、人々と共に、長い時間かけて石岡の里山の一部となっていくことを心より望んでいます。

2015年 秋暑
建築家 松野勉
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游心庵エリアマップ