ご見学は随時可能ですが、事前にご予約いただけますとご案内・ご相談が可能です。
毎週土曜日は「游心庵」見学日としています(要予約)。
お知らせ
大澤山 常陽院 明圓寺(茨城県石岡市)2024/08/03 @ 15:49今月(8月)の言葉
「日日是好日」
雲門文偃
これは、唐の時代の禅僧である雲門文偃(ウンモン ブンエン)の言葉で、日々の一喜一憂にとらわれずその日その日をただひたすらに生きる事が出来れば、それがいい日なのだと云う事です。
人生とは、ある日突然に何が起こるかよそも付かない物です。
人間の命は儚いもので、私達は誰もその事を予知出来ない物です。
だからこそ、"いま,,何が最も大切なのかを判断しなければならないのでは無いでしょうか。
先日、京都に行った折、携帯電話を忘れ一泊して起きると、いつの間にか腕時計の電池が切れており
又、前日の夕食に当たったのかお腹を下しており、散々でした。
そんな時こそ、今をどう生きるかが問われているのでしょうが、中々難しい物です。
過ぎてしまった事をいつまでも悔やんでいる人生ほど虚しい事は分かってはいるのですが。
「過ぎ去った日のことは悔いず、
まだこない未来にはあこがれず、
とりこし苦労をせず、
現在を大切にふみしめてゆけば、
身も心も健やかになるよ。」
パーリ「中部経典」
現在の自分の在り方を見極める事の出来た人は、人生(生き方)も自然に定まっていく物で有ると、この言葉は悟しているのだと思われます。
過去や未来に拘るよりも、''いま,,の私が如何有るべきで有るかを正しく判断する事が重要であると、この言葉は教えているのでしょう。
過去や未来の事ばかり心配している人生ほど愚かな事で有り
今、この現在を如何有るべきで有るかが重要で、今まさに成すべき事をしっかりとしなさいと、仏陀は教えているのです。
今を清々しく生きる人生が、毎日の日々を素晴らしい人生に変えるのです。
心がけたい事ですね!
合 掌
大澤山 常陽院 明圓寺(茨城県石岡市)2024/07/02 @ 18:05今月の言葉(7月)
「HOMO NEC
ULLUS CUIQUAM
PRAEPOSITUS NEC SUBDIT TUS
CREATUR」
(天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず)
福沢諭吉『学問のすゝめ』
これは、慶應義塾大学三田キャンパスの東門にある創設者である福沢諭吉の『学問のすゝめ』からのフレーズで、日本語の原文では「天」が主語になっていますが、ラテン語文では、「人は誰に対しても上に立つ者として、また下に立つ者として創造されていない」という様に、「人」が主語となった受動態の文になっています。
「人のいのちの重さは地球より重い」という様な表現が最高裁の判決文の中にあると聞いておりますが、人間のいのちの尊さ、「いのち尊し」とは、自分の今日のいのちだけが尊いのではありません。
私達のいのちは過去から未来まで、末通りたるいのち、即ち
無量寿の尊さによるものです。
しかも、そのいのちは、地球上の全てのいのちも同じです。
仏法は、「死にたくない」ための「いのち尊し」では無く、生かされきるための「いのち尊し」なのです。
その事を、改めて考えさせられる碑文でありました。
合 掌
大澤山 常陽院 明圓寺(茨城県石岡市)2024/06/06 @ 12:31今月の言葉(6月)
たわむれに
母を背負いて一歩二歩
軽きに泣きて
三歩も進まず
石川 啄木
久しぶりに帰郷し、戯れに母親をおんぶした時の啄木の歌ですが、自分の母だからこそ、その感慨も出て来たものと思われます。
私事ですが、97歳と3ヶ月になる母親がおります。
施設に入ってはいるのですが、元気で「私が中々死ねないのは、お前がしっかりしないからだよ。」と、叱咤されてしまう次第です。
母親は、10人兄妹の総領娘で、もう既に兄妹達は全て亡くなってしまい、独り淋しがっておりますが
若い時に両親を亡くし、弟や妹の面倒を見なくてはならない環境にあって、精神的には強い女性です。
仕事も、逓信局(電電公社)時代からNTTになってからも勤め41年も勤続した母でした。
当時、電電公社は社会党を応援しており市川房枝さんや土井たか子さんの頃
婦人参政運動や男女雇用機会均等法などの確保運動に力を注いだ様でありました。
私が高校生の頃は、半年東京で講義を受け、半年茨城に帰り職員の教育をする事を繰り返し、私は主に父親と生活をしていた学生でした。
そんな母も、笠間から当寺に入寺して間もなく私の父親である夫を亡くし独りで戦っており、私は母の傘下の元 余り苦労すること無く過ごして参りました。
ここに至って、母親も、もう幾許も無い命と感じ、空虚な空気の中にぽつねんと一人取り残される思いが滲み出る私の存在を感じます。
今、胸の砂時計は雪崩の勢いで時を刻み続けているのです。
南無阿弥陀
合 掌
明圓寺の納骨堂・樹木葬「游心庵」
お墓とは『故人を偲ぶよすがとす』と言われております。私は、墓前で手を合わせる時は、亡き人を振り返り偲ぶだけではなく、それをご縁として、今、生かされている自分自身を映し出す場、そして、今、置かれている自分の立ち位置を確認する場として、自分を見つめ直す大切な時間を頂くことでありたいと考えます。
時系列的には、過去、現在、未来へと繋がって時間が流れて行きますが、仏教的思想では、現在をどう生きるかによって過去も未来も変わってくる、と考えます。つまり、今の生き方次第で過去からの生き様もわかるし、未来も見えてくるのです。
現代を生きる私達は、時には苦しみ、時には悲しみ、未来の自分に戸惑う事に遭遇します。
そんな時、この場に立つことでご安置された阿弥陀さまと亡き人の暖かい慈悲の御手に抱かれて、ほっとしていただきたい、そして、心を游ばせて欲しい、そんな思いから游心庵と名付けました。是非一度足をお運びください。合掌
納骨堂
今、生かされている自分自身の命の意味を見つめ直す大切な場として、個人、ご夫婦、現代の様々なライフスタイルの方、継承者のいない方が安心して眠る場として、皆様のご要望にお応えし、それぞれのご縁を永代に渡りお引き受け致します。
明圓寺は浄土真宗のお寺ですが、宗教・宗派・国籍を問わず、門戸を拡げて、より多くの方々にご利用していただきたいと思っております。ペット用の区画もご用意させていただきました。
樹木葬
親鸞聖人のご遺言のに、「躯(むくろ)は鳥辺野のほとりに捨てよ」という言葉があり、自然に還るという(真宗的)思想から、明圓寺においてもこれに習い、自然葬(樹木葬)の区画も設けさせていただきました。樹木葬エリアは各種ハーブが植えられた日当 たりの良い場所にあります。
設計主旨
『心たゆたう場所』
青々と繁る竹林、天を仰ぐ杉の木立、かすかな形跡を残して続く小径。足下には無数の草花が生い茂る。林を抜ければ、緩やかな丘陵に柿園が広がり、その先には水田が水を湛える。石岡の郷の奥に位置する明圓寺は、多様な動植物を育むゆたかな里山に囲まれています。納骨堂建立に際して、住職は「亡くなった故人を振り返るだけではなく、それをきっかけに、いま生きている私たちの未来に思いを馳せる場所であってほしい」とおっしゃいました。様々な考え方、暮らし方をしている人々が、分け隔てられることなく心やすらぐ場所にしたい、とも。
私はこの場所を、日常の延長線上にありながらも、清廉な空気感を持ち、異世界との境界線であるような、意識がほんの少しだけ浮揚されるような場所にしたいと考えました。明圓寺本堂の背後に控える山林を歩いていると、木漏れ日が揺らぎ、心地よい風が吹き抜け、樹々の葉が風にそよぐ音が聞こえてきます。鳥や虫の鳴き声が聞こえ、遠くからは馬滝の水音すら聞こえてきます。これらはすべて石岡の郷が奏でる豊かな音の環境です。川の流れが一様に見えて常に形を変えていくように、いまここに生まれそして消えていく音と共にある場所にしたいと考えました。
その結果、明圓寺の山林の一角に、石岡の里山に傾けた耳のような、菩提樹を包み込む掌(たなごころ)のような場所ができました。広場の中に入ると、少しだけ外の世界と音の様子が変わります。ここではさまざまなイベントを行うことを想定しています。自然の光が差し込む明るいお堂の中では、読経の声が巡ります。大地が揺れ動いても動じることのない山々、大水で流されても再び何もなかったかのように芽吹く樹々草花。この場所が、そんな自然に寄り添い、人々と共に、長い時間かけて石岡の里山の一部となっていくことを心より望んでいます。
2015年 秋暑
建築家 松野勉
游心庵エリアマップ