
ご見学は随時可能ですが、事前にご予約いただけますとご案内・ご相談が可能です。
毎週土曜日は「游心庵」見学日としています(要予約)。
お知らせ
大澤山 常陽院 明圓寺(茨城県石岡市)2023/11/02 @ 16:17今月(11月)の言葉
「みずや君あすは散りなん花だにも
力のかぎりひとときを咲く」
九条 武子
(ご覧なさい、ほら明日は散るであろう花でさえも、
短い命を力いっぱいに咲いているよ)
意味
我々人間は、頂いた大切なこの命を生ある限り力いっぱい花咲かせ、この世で自分に課せられた勤めを果たし心を満たす事が幸せな事で有ります。
何事も中途半端にして悔いを残すより、一つ一つの事を着実に成し遂げる嬉びを知りなさい。
私事ですが、二人の子供がおりますが若い頃は、特に自分の存在価値さえ悩み苦しんだりするものです。
しかし、三世(過去・現在・未来)において悩んでいる時間は
とても勿体無い時間なのです。
諸行無常(世の全ての物は移り変わり、又生まれては消滅する運命を繰り返し永遠に変わらない物はない。)で有り、人生は老少不定で有るのですから、過去や未来に拘り悩んでいる時間は無いのです。
限り有る命を、今生かされているこの命に感謝し自分が出来る事に精一杯力を注ぎ、この命は多くの命の連続性の上に成り立っている事に気づき、その事に気づく事によって自分だけの所有物では無いこの命を生きる事に責任と報恩感謝の気持ちを持つ事が、大切で有ると思われます。
「いだかれてありとも知らずおろかにも
われ反抗す大いなるみ手に」
九条 武子
そうは言っても、我々凡夫は色々な事に悩み苦しみ如意に心游ばせ、命自体も自分の所有物の如くもがいているものです。
西遊記に出てくる孫悟空ではありませんが、思うが如く自由自在に生きている心算でも
お釈迦様の掌の上でもがいていただけの譬えの如く、我々も阿弥陀様に抱かれている存在で有ると気づきたい物です。
月影のいたらぬ里はないのです。
合掌
大澤山 常陽院 明圓寺(茨城県石岡市)2023/10/06 @ 14:39今月(10月)の言葉
Be independent
(自立した人でありなさい)
Be intelligent
(知的な人でありなさい)
Be cooperative
(協力する人でありなさい)
この言葉は、聖心女子大学初代学長であるマザーブリットの教育方針で有りました。
一言で云うと自立して理論的(知的)で協力的で有れ。と云う事であります。
人間が集団の中にあってイニシアチブ(主導権・率先)を取るに当たって必要不可欠な事であるとの考えであります。
この事を、国連難民高等弁務官であった緒方貞子さんは、実行され常に同じ目線に立って聞き役に回り、人の話を聞いた上で多くの事を知り把握し結論を導き出す方であった様です。
聞く事対話する事は、決して受け身では無く、その結果色々な点を繋ぎ合わせて俯瞰して解決策を見いだす事が大切で在るとの思いであった様です。
そこには、「知力」、「俯瞰力」が必要であります。
人を動かすに当たっては、主導力を握って相手と交渉し、相手と共に協力し合って行けるきっかけを作る事が大切であるとの考えを持って、自らの業務を粛々と遂行された方であった様です。
この事は、どの様な部門にあっても当て嵌まる考え方で有り、私の立場においても忘れてはならない事であると再認識された事で有ります。
それから、困っている人のニーズに応える事が必要とされます。
人間の行動に対しての着目と分析にあっては、生きる事そのものは人間の弱さがそこには反映されているものであり、現場感が無ければ人を説得する事は出来ない物で有ります。
今から約2500年前、釈尊が城を出て民衆の中に飛び込み、対機説法(人々の悩みや苦しみを同じ目線に立って話を聞き応えた事)が、現代社会においても生きた教えとなって人々の心に寄り添った存在になっているのだと思われます。
この点から、我々は先人達の想いの原点に立ち返り反省しなければならないと思った事でした。
合掌
大澤山 常陽院 明圓寺(茨城県石岡市)2023/09/05 @ 17:48今月(9月)の言葉
『さびしさに宿を立ちいでてながむれば
いづこも同じ秋の夕暮れ』
良暹法師 『後捨遺集』秋
意味
寂しさに耐えかねて我が家を出て外を眺めたところ、
どこもかしこも同じように寂しいことだ。
この秋の夕暮れよ。
この歌は、詩歌集での詞書によると、
老いて数千人もいたとされる比叡山を降り
たった一人で大原に住み始めた頃、詠んだもので有ります。
意を決して世捨て人となり
大原に来たものの、話しを交わす友達はおろか誰も見かけない山里での暮らしに
僧侶とはいえども寂しさがつのるばかりの様子をうかがえる歌で有ります。
外に出て歩き回っても誰もいない寂寥とした山里に夕暮れ時が迫って来て、しみいるようなメランコリーを
心にジーンと沁み渡る歌で有ります。
そこは、人恋しさがつのって来るばかりで、とても秋らしい寂しさの中にほろ苦さが混じる枯れた味わいのある歌で有ります。
私事ですが、先日、京都に出かけて参りました。
残暑は未だ厳しいところであるのですが、風や雲、こうべを垂れる稲穂に、もの悲しい寂しさを感じさせられました。
私も自分の住む庵を出て見たのですが、景色はおろか、人並みさえ寂しさを憶える秋を肌に感じました。
そこには、どれだけ死力を尽くしても、既に取り返しのつかないまでに損なわれた人生観を覗き見る様な風景が映し出されておりました。
『貪愛、瞋憎の雲霧、常に真実信心の天に覆えり』
正信偈
『貪愛』とは、何かを貪り求める事で有り、『瞋憎』は、思い通りにならないものに怒りや憎しみを感じる事です。
この様な人間の苦悩は、雲や霧の様に太陽(阿弥陀さまの救いの働き)を覆ってしまうと、その苦悩の深さが語られています。
分厚い雲や深い霧が太陽の光を遮って、辺りが暗く感じる事が有りますが、太陽そのものが無くなってしまった訳では有りません。
どれほど人間の苦悩が深くとも、その働きに気づけなくとも、太陽は常に私達を照らしているものですから
それを、深く深く胸の奥で
憶えて置きたいものです。
南無阿弥陀仏
明圓寺の納骨堂・樹木葬「游心庵」
お墓とは『故人を偲ぶよすがとす』と言われております。私は、墓前で手を合わせる時は、亡き人を振り返り偲ぶだけではなく、それをご縁として、今、生かされている自分自身を映し出す場、そして、今、置かれている自分の立ち位置を確認する場として、自分を見つめ直す大切な時間を頂くことでありたいと考えます。
時系列的には、過去、現在、未来へと繋がって時間が流れて行きますが、仏教的思想では、現在をどう生きるかによって過去も未来も変わってくる、と考えます。つまり、今の生き方次第で過去からの生き様もわかるし、未来も見えてくるのです。
現代を生きる私達は、時には苦しみ、時には悲しみ、未来の自分に戸惑う事に遭遇します。
そんな時、この場に立つことでご安置された阿弥陀さまと亡き人の暖かい慈悲の御手に抱かれて、ほっとしていただきたい、そして、心を游ばせて欲しい、そんな思いから游心庵と名付けました。是非一度足をお運びください。合掌
納骨堂
今、生かされている自分自身の命の意味を見つめ直す大切な場として、個人、ご夫婦、現代の様々なライフスタイルの方、継承者のいない方が安心して眠る場として、皆様のご要望にお応えし、それぞれのご縁を永代に渡りお引き受け致します。
明圓寺は浄土真宗のお寺ですが、宗教・宗派・国籍を問わず、門戸を拡げて、より多くの方々にご利用していただきたいと思っております。ペット用の区画もご用意させていただきました。


樹木葬
親鸞聖人のご遺言のに、「躯(むくろ)は鳥辺野のほとりに捨てよ」という言葉があり、自然に還るという(真宗的)思想から、明圓寺においてもこれに習い、自然葬(樹木葬)の区画も設けさせていただきました。樹木葬エリアは各種ハーブが植えられた日当 たりの良い場所にあります。


設計主旨
『心たゆたう場所』
青々と繁る竹林、天を仰ぐ杉の木立、かすかな形跡を残して続く小径。足下には無数の草花が生い茂る。林を抜ければ、緩やかな丘陵に柿園が広がり、その先には水田が水を湛える。石岡の郷の奥に位置する明圓寺は、多様な動植物を育むゆたかな里山に囲まれています。納骨堂建立に際して、住職は「亡くなった故人を振り返るだけではなく、それをきっかけに、いま生きている私たちの未来に思いを馳せる場所であってほしい」とおっしゃいました。様々な考え方、暮らし方をしている人々が、分け隔てられることなく心やすらぐ場所にしたい、とも。
私はこの場所を、日常の延長線上にありながらも、清廉な空気感を持ち、異世界との境界線であるような、意識がほんの少しだけ浮揚されるような場所にしたいと考えました。明圓寺本堂の背後に控える山林を歩いていると、木漏れ日が揺らぎ、心地よい風が吹き抜け、樹々の葉が風にそよぐ音が聞こえてきます。鳥や虫の鳴き声が聞こえ、遠くからは馬滝の水音すら聞こえてきます。これらはすべて石岡の郷が奏でる豊かな音の環境です。川の流れが一様に見えて常に形を変えていくように、いまここに生まれそして消えていく音と共にある場所にしたいと考えました。
その結果、明圓寺の山林の一角に、石岡の里山に傾けた耳のような、菩提樹を包み込む掌(たなごころ)のような場所ができました。広場の中に入ると、少しだけ外の世界と音の様子が変わります。ここではさまざまなイベントを行うことを想定しています。自然の光が差し込む明るいお堂の中では、読経の声が巡ります。大地が揺れ動いても動じることのない山々、大水で流されても再び何もなかったかのように芽吹く樹々草花。この場所が、そんな自然に寄り添い、人々と共に、長い時間かけて石岡の里山の一部となっていくことを心より望んでいます。
2015年 秋暑
建築家 松野勉

游心庵エリアマップ

