茨城県石岡市「明圓寺」
納骨堂と樹木葬「游心庵」
納骨堂と樹木葬「游心庵」2
茨城県石岡市「明圓寺」
納骨堂と樹木葬「游心庵」
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大澤山 常陽院 明圓寺(茨城県石岡市)

住職 土井千浩(どいちひろ) 法名 釋千浩(しゃくせんこう)
大澤山 常陽院 明圓寺(茨城県石岡市)
大澤山 常陽院 明圓寺(茨城県石岡市)2025/04/07 @ 18:53
今月(4月)の言葉

「亡き人と語らんとて言葉なし
み名を称えて問いつ答えつ」

意味

生きている人と話す時は、雑談でも話しが通じている様に錯覚していますが、亡き人と話をする経験をすると、仏の深い世界を通さなければ本当に心を通わす事は出来ないと云う事です。

4月に入って、あちこちで永代経法要が勤まっております。

永代経法要は、門徒同行の懇志に基づいて、仏前にご先祖の法名を掛けて読経をする法要でありますが、四十八願の第一願(無三悪趣の願)に
「たとい我、仏を得んに、国に地獄・餓鬼・畜生あらば、正覚を取らじ」とある様に、私たち衆生は人間の姿形はしているものの、内心は餓鬼・畜生であり、私と云う生き物は、地獄の様な世界を生きている事を、如来さまに慚愧するための法要なのです。

又、ご先祖を供養することでは無く、亡くなったご先祖さまに対して、充分な孝養を尽くさなかった事を慚じる法要で有ります。

感謝と云う言葉が有りますが、謝りを感じた時、初めて慚愧の心もおこり、その時、お願い事のお念仏から心の底から溢れ出る報恩感謝のお念仏に変わるのでしょう。
その時、亡き人のご恩も、噛みしめる事が出来るのでしょう。

昨年末に母親が他界し、百ヵ日法要も勤め、一安心した思いで有りますが、これから母親が存在していた事を、しみじみと感じさせられる事と、覚悟している次第です。

    合  掌
大澤山 常陽院 明圓寺(茨城県石岡市)
大澤山 常陽院 明圓寺(茨城県石岡市)2025/03/01 @ 22:03
今月(3月)の言葉

「凡夫というは、無明煩悩われらがみちみちて、欲もおおく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおおく…」
 

「一念多念文意 」
     親鸞聖人

「凡夫」とは、自己中心的に生きて苦悩する私達の事を指しています。

また、「無明」とは、人の心を惑わす多種多様な煩悩の根本のことで、物事の道理にかけている状態を指すのです。
我々は、無明煩悩に満ち溢れているのです。

ですから、我々は自分の思い通りにいかなかったり、自分より才能の優れた人に出会うと、怒り、腹立ち、うらみやねたみの心が生まれ、そこから脱出できずに苦悩したりするのです。

仏教では、「内観道」と言って苦悩の原因を環境や他人に向けず、自己を見つめる事、つまり自分の心の内に見るのです。

「暑さ寒さも彼岸まで」

お彼岸の時期は、一年でも、季節的にバランスのとれた頃と言えます。

又、お彼岸は春と秋の年二回ありますが
春分の日と秋分の日は、昼と夜の長さが同じとされます。
この事は、仏教の教えである中道の教えにかなうもので有ると云う説もあります。

お釈迦様は、「我は中道を行く」と言われ
苦行を放棄されております。

皆様、今月はお彼岸の月で有りますので
ご先祖様に感謝し、阿弥陀様への報恩感謝の思いで、お浄土をしのびたいものであります。

お彼岸とは、お浄土を示す言葉なのです。

    合  掌
大澤山 常陽院 明圓寺(茨城県石岡市)
大澤山 常陽院 明圓寺(茨城県石岡市)2025/02/10 @ 21:06
今月(2月)の言葉

「道心の中に衣食有り
衣食の中に道心有り」

最澄(伝述一心戒文)

仏教者で云うならば道心とは、悟りを求め様とする心であり
親なら、自分の幸せや欲求を満たす事では無く、子供が本当の幸せになれる事を求める心で有り、商人で云うならば、お客様にどうしたら喜んでもらえる商いが出来るかを求める心で有り、教師なら生徒にどうしたら良い教育を受けさせる事が出来るかと云う心で有りますが、そういう心を持って生きれば、衣食(生活に必要なもの)は自然に満たされる事で有ります。
逆を言えば、衣食そのものは決して道心は持たないとも教えております。

すなわち、道心を持って、愛情を持って子供達を育てる事は
道心を持った人が育ち、社会も時代も良いものになると思われます。

我々は、考え、悩み、苦しみながら子供達を育て、社会人として自立した人間にして行かなければなりませんし、先達としての基本的在り方で有ると思われます。

今も昔も、次世代の人々を愛情を持って育て、道心を持った人になってもらう事が求められているのでは無いのでしょうか。
歳の終わりや始めに当たって、足元を見つめ思い起したい伝教大師のお言葉で有ります。
自分の事でいっぱいになり、周りや他人を見失ってしまいがちですね。
気づかない事が無い様に心がけたいと思います。

      合 掌

イベント履歴

開かれたお寺を目指して

大澤山(おおさわさん) 常陽院(じょうよういん) 明圓寺(みょうえんじ) は、親鸞聖人(しんらんしょうにん)から明法(みょうぼう)という名を授かった弟子・弁円(べんねん)が、仁治元年(1240年)真家村(現在の茨城県石岡市真家)に隠居の為に建立した浄土真宗のお寺です。明法の「明」とかつての名、弁円の「圓」の字をとって明圓寺と号されました。
四季折々の草花、馬滝の美しい流れる音、素晴らしい里山風景の中に佇む、歴史深い山寺です。ぜひお気軽にいらしてください。

合掌

明圓寺 住職

納骨堂・樹木葬「游心庵」建立に寄せて

お墓とは『故人を偲ぶよすがとす』と言われております。
 私は、墓前で手を合わせる時は、亡き人を振り返り偲ぶだけではなく、それをご縁として、今、生かされている自分自身を映し出す場、そして、今、置かれている自分の立ち位置を確認する場として、自分を見つめ直す大切な時間を頂くことでありたいと考えます。
 時系列的には、過去、現在、未来へと繋がって時間が流れて行きますが、仏教的思想では、現在をどう生きるかによって過去も未来も変わってくる、と考えます。つまり、今の生き方次第で過去からの生き様もわかるし、未来も見えてくるのです。
 現代を生きる私達は、時には苦しみ、時には悲しみ、未来の自分に戸惑う事に遭遇します。
 そんな時、この場に立つことでご安置された阿弥陀さまと亡き人の暖かい慈悲の御手に抱かれて、ほっとしていただきたい、そして、心を游ばせて欲しい、そんな思いから「游心庵」と名付けました。是非一度足をお運びください。
 

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ご見学は随時可能ですが、事前にご予約いただけますと
住職・坊守によるご案内・ご相談が可能です。

毎週土曜日は「游心庵」見学日としています(要予約)。

 

住職のご紹介


お気軽にお参りにいらしてください。
 

住職 土肥 千浩

土肥千浩プロフィール  

法名: 釋 千浩(しゃく せんこう)

  • 1960年 茨城県笠間市に生まれる。
  • 1977年 曹洞宗で得度習礼※1を受け僧侶となる。
  • 1979年 教師習礼※2をし、約10年間曹洞宗の僧侶として過ごす。
  • 1985年 大学で経済学部を卒業する。
  • 1986年 浄土真宗本願寺派に転派する。
  • 1986~96年  一般企業や団体職員として働き、社会経験を積む。
  • 1990年 当山住職となる。
    仏教学や真宗学の修学研鑽※3を深めるため、東京仏教学院の研究科に学ぶ。
  • 2007年~   法要儀式を行う事にとどまらず、お念仏をご縁としての文化活動や法話会などを通じて心を寄せられる窓口となりたいとの思いで、千葉県柏市に分院を開く。分院においては、子ども達の料理会を開いたり、カフェで茶話会を開き、日頃の不安や仏教に対する疑問などを一緒に考えて行く活動をしている。
    本院においても、2,3,5,6,7,10月の第2火曜日13:30から、近隣の住職を講師にむかえ、法話会を開いて門信徒さんの声に耳を傾けている。
    『これからも、気楽に、安らかに心を寄せられる穏やかな場として、広く沢山の人に慕われるお寺にして行きたいと願っております。』

NPO法人 アーユース仏教国際協力ネットワーク会員


※1得度習礼(とくどしゅらい): 在俗者が仏門に入る儀式の前の予行。

※2教師習礼(きょうししゅらい): 実践的なお得度のような習礼

※3修学研鑽(しゅうがくけんさん):学問や知識を深く究めること。


明圓寺開山のいわれ


人形説き・弁円のなみだより


明圓寺の印


『明圓寺の印』ができました。

 

 

明圓寺にお参り頂いた方に、記念に押印さし上げたいと思います。どうぞお気軽にお声かけ下さい。